東京大学中東地域研究センター UTCMES スルタン・カブース・グローバル中東研究寄付講座

UTCMES定例研究会の実施報告

第8回「オーストリア=ハンガリーとボスニアのイスラーム教徒移住問題―併合をめぐるもう一つの危機―」

日時:2013年7月27日(土)15:30-17:00
報告者:米岡大輔(日本学術振興会特別研究員)
会場:駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム2
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報告要旨
 1908年10月オーストリア=ハンガリー二重帝国は、1878年以来オスマン帝国より獲得し占領下においていたボスニアの併合宣言を発布した。その直後からボスニアでは、正教徒のセルビア人やカトリックのクロアチア人による民族主義的な活動が強化されると同時に、イスラーム教徒によるオスマン帝国への大規模な移住活動が発生することになった。それは二重帝国にとって、オスマン帝国との関係を念頭におき、併合後もボスニアの領有を維持せねばならないことを意味していた。
 
 本報告では、二重帝国がこのイスラーム教徒の移住問題に対していかに対応したのかという問題を考察した。その際特に、移住者の帰還をめぐる二重帝国の取り組みに着目し、二重帝国がどのようにしてボスニアの領有を維持しようとしたのか、という点を検討した。先行研究は、併合から第一次大戦さらに帝国解体への流れを直線的に見通そうとするあまり、この移住活動のように、そこに直結しない事象については考察することもなかった。これに対して本報告は、この時期に大規模な移住活動が生じた背景とそれへの二重帝国の対応を見ることで、併合後の二重帝国の歴史過程をより複合的なものとして描くと同時に、当時の二重帝国の内実も浮き彫りにした。
 
 本報告の具体的な内容は、以下のとおりである。(1)二重帝国による法的帰属の設定、(2)移住問題の発生とその影響、(3)ボスニア領有の維持にむけた帰還への取り組み。
 
 (1)では、二重帝国が、ボスニアの占領から併合への段階的な統合過程の中で設定した「州籍」という法的帰属の在り方について言及した。占領期間中、二重帝国にとっては、ボスニア領有にむけてこの「州籍」を設定することは容易なことではなかった。なぜなら占領当初に、ボスニアにおけるスルタンの主権の継続的な有効性を認めた4月協定をオスマン帝国と締結していたためである。そこで二重帝国は併合後に、ボスニア独自の憲法の制定を通じて、「州籍」という法的帰属を設けながら、その領有を確固たるものにしようとしたのであった。
 
 しかし、(2)で論じたように、その状況は、併合直後から拡大したイスラーム教徒の移住活動によって大きく揺るがされることになった。この移住活動の背景には、ボスニア併合とブルガリアの独立に伴いバルカン半島における支配領域の縮小を迫られたオスマン帝国の政治動向が深く関係していた。オスマン帝国は、移住にむけた宣伝活動など組織的な取り組みにより、ボスニアのイスラーム教徒に自国領内への移住を促した。オスマン帝国としては、バルカン半島内の支配領域におけるイスラーム教徒住民の増加をはかることで、バルカン諸民族が帝国からの分離・独立をさらに進めることに対抗しようとしたのである。特にボスニアからのイスラーム教徒移住者に関しては、併合時に二重帝国と締結された2月協定に従い、移住先の帝国領内ではオスマン国籍者として処遇された。他方、こうした移住活動の拡大はボスニアにおいて、セルビア人民族主義者による移住者の所有地獲得にむけた活動を惹起させることにもつながったのだった。
 
 そして(3)においては、二重帝国がこうした危機的状況の克服をめざし、移住先で困窮したイスラーム教徒移住者の帰還を進めていく過程について述べた。ボスニアからオスマン帝国に移住したイスラーム教徒の中には、移住先での厳しい生活環境のゆえ帰還を求める者も生じた。二重帝国は移住活動への対抗措置として、こうした人々を実際にボスニアに戻し、再び「州籍」に帰属させていこうとしたが、その過程で大きな矛盾を抱えることになった。二重帝国がボスニアの内政面を考慮し、移住者を帰還させようとすれば、それがオスマン国籍者への介入となり、領土問題を再燃させうる事態に直面した。だが、その帰還を進めなければ、内政的な危機を解消できない現実と対峙し続けねばならなかった。本報告の最後には、このようなボスニア領有をめぐる二重帝国の内実を指摘したうえで、二重帝国が最終的にオスマン帝国側の対応の変化にも乗じ、一部の移住者を実際に帰還させ、ボスニアの領有を維持していった状況について確認した。
 
 以上が本報告の内容である。その後の質疑応答では、イスラーム教徒がオスマン帝国に移住する際の動機、移住者の社会階層、ボスニア内で移住活動が発生した地域状況、さらに移住者の二重国籍をめぐる問題等、多岐にわたる質問が出され、活発な議論がおこなわれた。
(執筆:米岡大輔)